母の介護と妹の話(仮)

2023年1月に母が緊急搬送されました。母の介護とそれにまつわる妹の話を綴ります。ただの記録のため面白くありません。読んでもため息しか出ないと思います。

2023年1月5日 (4)帰りの新幹線で考えたこと

新幹線後ろ新幹線真ん中新幹線前

帰りの新幹線の中で、妹や医師から聞いたことを整理しました。

 

【母が入院するまでのいきさつ(妹の話)】

◎足が悪くなっていた(原因や詳細は不明)

◎足が痛いといってトイレに行かなくなり、室内で紙を敷くなどして用をたしていた

・足が痛いといって外出しなくなり病院にも行かなくなった

◎足が痛いといってお風呂に入らなくなった
・長いことお風呂に入らないものだからからかなり臭って・・・

 

秋に母と電話をした時、上の「・」以外は聞いていました。足が悪くなってきたんだったらトイレやお風呂の件はある程度は仕方がないと思いました。実家は築50年の木造1軒屋で段差が多いのです。私が「臨機応変にやるしかないよね。」と言ったら、母は「そうなの。高齢だからいろいろあるけど、元気にやっているわよ。」と言っていました。でも、「お風呂に長い間入らなくて臭っている。」という話ではありませんでした。妹夫婦と同居していてこんなことになっているなんて・・・。

生活に支障をきたしているのに、妹はなぜ放置していたのかと思いました。

担当医からも、

👨‍⚕:「どうしてここまで放っておいたんだ。」

と言われたそうです。

ちなみに面会した母はきれいでした。救急病院に運ばれた後、お風呂にも入れてもらったそうです。

 

【私の反省と言い訳】

コロナ禍で帰省を控えていました。妹夫婦と同居しているから心配することはないと思っていました。コロナ禍がなければ1年に1回は帰省していたと思います。

もう少し頻繁に電話したほうが良かったのかもしれませんが、妹夫婦と同居しているので遠慮していました。こちらからはかけにくいのでもっと母からかけてきてほしいと思っていました。昔はちょくちょくかけてきてくれたのにと。

電話で、母は少しボケてきたなぁと感じていました。高齢なのである程度は仕方がありません。でも、会話はある程度成立していたし大丈夫と思いました。妹夫婦が何も言ってこないのであれば大丈夫と思っていました。

秋に電話した時は元気だったのに。。。あの頃、どういう状況だったんだろうか

 

【私の考えや気持ち】

これから母の容体にあわせていろいろなことを考えて決めていかないといけなくなります。

同居していた妹夫婦に主体的に動いてほしいと思いました。同居は、妹夫婦が自ら名乗り出たこと。同居を申し出るということはそういうことだと思います。少なくとも妹の夫にはその覚悟があったと思います。

しかし、妹夫婦(というか妹)にできるだろうか。無理かもしれない。妹は自分でできることが少なく、年齢不相応に母に依存しすぎていました。

でも、その分、母を想う気持ちは強いはず。母のためにならできるのではないか。もしそうなら、妹(夫婦)が主体的に動くほうがいい。もちろん私も協力する。

よし、そうしよう。